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金沢地方裁判所 平成4年(ワ)281号 判決 1996年10月25日

主文

一  被告らは、連帯して、原告に対し、金三五万円及びこれに対する平成三年九月二七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

理由

一  当事者等

《証拠略》によれば、次の各事実が認められる。

1  原告は、父甲野太郎、母甲野春子の子として昭和五五年七月一二日に出生した男子であり、平成三年九月二七日当時、小学校五年に在籍する一一歳の児童であった(右事実は、当事者間に争いがない。)。

2  原告は、昭和六二年四月、栃木県下都賀郡野木町立乙原小学校に入学した後、翌年、埼玉県飯能市立丙田小学校に転校し、さらに、家族の転居に伴って、四年生の三学期途中である平成三年二月二三日に被告七塚町の設置する七塚町立乙山小学校に転校してきたものである。

同小学校に転入時には、原告は、四年一組に編入され、同年四月に進級して五年二組に属することとなった。

なお、原告及びその家族は、同小学校に転校した時点では、同小学校の校区内に建設を予定していた自宅建物が未完成であったため、転校当初から平成三年一一月二〇日ころまでの間、河北郡内灘町に居住していた。

3  乙山小学校は、平成三年当時、各学年二クラスの編成で、一クラスの生徒数は平均三〇名前後であった。

同校の教職員は、校長の藤岡秀紀のほか、教頭一名、教諭一四名、養護教諭一名、事務職員一名の合計一八名であり、原告の担任は、四年生の時(同年二月及び三月)は河原弥生教諭、五年生の時(同年四月以降)は竹元憲一教諭であった。

二  事件発生以前の状況等

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、転校手続を終えると、平成三年二月二三日から乙山小学校へ登校を始めたが、当時の自宅は内灘町にあったため、毎日の登下校は、母花子が自家用車で送り迎えすることとなった。

2  原告の両親は、原告が本件小学校に転入するについて、原告が普段から動作が遅く話し方も上手でないことや、転校前の小学校で原告及びその妹がいじめの対象となったことなどから、原告が再びいじめの対象となることを懸念し、母花子が、右初登校の日に、藤岡校長と面会した機会に、同校長に対し、これらの事情を話して、集団で学習する場合には気にかけて欲しいと要望した。

3  原告は、その直後の同月二六日ころから、母花子に対し、同じ学年の児童らから再三「ばか」「クッパ」とか「ちゃんと席につかんとだめやがいや」「起立せい」「やーい、決まりは守れ」などと言われたと訴えたため、母花子が、同月二八日の放課後、担任の河原教諭にこれらの点について善処するように申し入れた。

しかし、河原教諭は、「ばか」「クッパ」などの発言については、発言したとされる当該児童がそのような発言をした事実を否定していたことから、その旨を伝え、また、その他の発言については、授業中に立ち歩いたり、突然授業中の同教諭のところへ歩み出て授業科目とは全く別の教科のことを質問するなどの原告の勝手な行動を現認していたことから、「発言した子供達には悪気はなく、親切心で言ったことだと思う。」との趣旨の意見を述べた。

このような担任教諭の対応に対し、母花子は、同教諭は相手方児童ばかり庇い、話してもらちがあかないとして、校長室に藤岡校長を訪ねて、同校長に対し、直接同様の申し入れを行ったため、藤岡校長は、その場では、とりあえず不手際があった旨を謝罪した。しかし、母花子は納得せず、翌日から同年三月七日に原告がいじめられたと主張した児童らが謝罪する日まで、原告は、毎日、登校はするものの、教室には入らず、母花子とともに校長室で担任の教諭と話などをして過しては早退するということを繰り返した。

4  また、原告は、同年三月一一日には、放課後、学校の玄関付近で、上級生から叩かれたり蹴られたりするなどの暴行を受け、全治五日間を要する背部打撲の傷害を負う事件が発生し、さらに同月一五日にも、原告が、同級生らから「ばか」などと言われていじめられたと主張する出来事があったが、これらの件の相手方児童の謝罪や事実の有無の確認に関する原告の両親と藤岡校長及び河原教諭らとのやりとりの過程で、同校長らが、原告の訴えた事実の中には、原告の聞き違えによるものがあり、また、原告の前記のような授業態度にも問題がある旨述べたことに対して、原告の両親が強く反発し、同月一八日以降四年生の課程が終了するまで原告を登校させなかった。

5  そして、このような出来事があったころから、原告の両親らは、学校側は、原告が被害を受けているにもかかわらず、問題が原告の方にもあるとするような見方をし、児童に対する事実の調査も、学校に都合のよい言い方でしか聞かないなどと学校側に対する不信感を抱くようになり、他方、学校側の藤岡校長や担任教諭らも、原告の両親らは原告の言うままを絶対的に正しいものと信じるので、右両親らとの間で冷静に事実関係を確認することが難しいと感じるようになった。

6  原告は、同年四月には五年生に進級し、クラス替えによって竹元教諭が担任を務める五年二組に属することになり、登校を再開した。

しかし、始業式当日の同月五日に原告が同級生らからからかわれるということがあり、原告の両親が翌日学校を訪ねてこの事実を訴えたため、藤岡校長及び竹元教諭らは、相手方の四名の児童を呼び出して、事実を認めた三人の児童に原告への謝罪をさせた。

7  その後、同年四月中には、原告が、同級生から掃除の時間などに小さな声で囃し立てられたり「変な一郎」などとからかわれたりする出来事が三回ほど発生し、五月中にも、授業開始前の時間に、同級生からおかしな絵を示されて、それを原告が書いたなどと囃し立てられたりしたことがあった。

また、そのほかに、一学期中には、原告の筆箱が壊されたことがあるほか、学期の終りころにも、原告が、叩かれたり、悪口を言われたりすることが二回程発生した。

8  右のような原告に対する各行為については、原告本人やその両親らから、その都度、竹元教諭や藤岡校長に対して報告されるとともに、それに対する対応が求められたが、学校側では、担任の竹元教諭ばかりでなく、藤岡校長や隣の組の担任の福村教諭らが、それらの行為が明らかになる都度、当該行為を行った児童に対して個別に注意を与え、一学期中は、原告に対するこのような行為は徐々に減るようになった。

なお、当時、原告と同じ五年二組に属していた丙川、戊原、丁原、戊田、甲田、乙野及び五年一組に属していた丙山は、このような注意を受けることが少なくなかった者である。

9  また、原告は、五年生に進級後も、集会中にふらふら歩きまわったり、授業中に席を立って自分の言いたいことを言うことがたびたびあったが、竹元教諭は、五年二組の児童全員に対して、再三、原告がクラスのルールを守らないことがあっても、それを理由に叩いたりしてはいけないと注意を与えていた。

10  しかし、夏休みをはさんだ後、二学期に入ると、同年九月一九日には、原告が同級生らから足を蹴られたり、「髪の毛を切ってこい」「女」などといわれる出来事が発生し、同月二五日には、何者かによって原告の筆箱が床の上で踏みつけられるという出来事が発生した。

三  本件事件の発生

1  そうしたところ、平成三年九月二七日、原告に次のような事件が発生したことが、《証拠略》によって認められる。

(一)  当日、担任の竹元教諭が研修旅行に出かけたため、原告の属する五年二組は、一時限目から教師が不在のまま生徒だけによる自習授業が行われていた。

(二)  右自習時間中には、隣の五年一組の担任であった福村教諭が、ときおり様子を見に訪れていたが、同教諭が、四時限目の授業時間が終了して給食の準備に入ったころに教室を訪れたときに、原告が自分の机に糊が塗り付けられるといういたずらを発見して同教諭に訴えたので、同教諭は、すぐに周囲の児童らに対して、だれがやったのかと問いただしたが、名乗り出る者はなかった。そこで、同教諭は、自ら塗り付けられた糊を拭き取って、原告が給食をとれるような状態にしたうえで、自分の担任する五年一組の教室に戻り、児童とともに給食を食った後、職員室に帰った。

(三)  また、原告らの五年二組の教室では、給食中、甲田ら数名の男子児童が、ある女子児童を「ババァみたいだ。」と言ってからかったところ、原告は、自分がからかわれたものと思い込んで、机を叩いて怒った。

(四)  その後、給食を食べていた丙川のところへ原告が寄って来て鼻水を垂らしながら覗きこむような仕草をしたため、丙川は自分の給食の中に原告の鼻水が入ったのではないかと腹を立て、給食時間が終わって昼の二〇分間の休憩時間に入るころ、教室の出入口の戸を押さえて原告を外に出られないようにした。この行為には、甲田、戊原ら数名の児童も加わったが、原告が泣き出したのを見て、右の妨害を止めた。

(五)  しかし、原告が教室を出ると、丙川、甲田、戊原ほか数名の児童が原告を新館一階入口付近まで追いかけ、これに興味を持った丁川、丙山ら隣の組の児童まで加わって、結局、丙川、甲田、戊原、丁原、乙野、丙山、戊田、丁川のほか、甲川、丁野五郎ら全部で一六、七名の五年生の児童が、右入口付近に集まることとなった。

そして、その場で丙川と甲田が、原告に体当たりを加えたうえ、同人らと丁川とが原告の体を捕まえ、丙山は原告に向かって「リーンチ」と叫んで人差し指を立てて肘を曲げて上に上げ片方の手を添えるポーズをとるなどした。

(六)  次いで、右新館一階の隅に置かれていた掃除用具収納用のスチール製ロッカー(幅四六センチメートル、奥行き五二センチメートル、高さ一七九・五センチメートルほどの大きさのもの)に、まず、丙川らが先に入ってみせ、丙川と戊原が「入るといい子だ」と言って原告に続いて右ロッカーに入るように強く促し、抗しきれない原告が中に入ると、丙川、甲田、乙野ら三、四人の生徒がロッカーの戸を押さえて原告を狭いロッカー内に閉じこめて、外側からロッカーを蹴ったり叩いたり脅かしたため、原告はロッカー内で泣き出した。この時には、前記一六、七名の児童らのうち残りの者はこれを見ており、中には閉じ込められている原告をからかうような言葉を吐く者もいた。

(七)  原告が右ロッカー内に閉じこめられていた時間は短時間であったが、ロッカーから出た原告を丙川、甲田らほか数名の児童が、さらに同館の二階にある会議室の前まで連れて行き、戊原、丙山ほか二、三名の児童が原告を会議室入口の外側の木製の格子引戸と内側のガラス引戸との間にある下足脱ぎ場に連れ込んで原告を取り囲み、戊原が原告の足を蹴ったり、「わしを倒せるか」と言いながら胸を引っ張ったりしたほか、丙山も原告のズボンの上から原告の性器を触るなどの暴行を加えた。

そして、泣きじゃくる原告を、丁川が「早く出ないと雷が鳴るぞ」などと囃し立て、原告を除いた児童が先に廊下に出て、丙川、甲田、丙山、丁川らが右格子引戸を手で閉め切って、右下足脱ぎ場の中に原告を閉じこめた。

右の暴行を受けた際、原告のカッターシャツのボタンが二個外れた。

(八)  丙川、丁川らは、程なくして引戸を押さえることをやめたが、中から出てきた原告を、丁川、戊田が捕まえて、先のロッカーに再び閉じこめようとした。

しかし、原告が南運動場に逃げると、丙川、甲田、丁川、丁原らが原告を押さえつけて叩いたり蹴ったりしたうえ、「むかつく。」などと罵り、原告を新館前の水道栓のところまで連れて行った。

そこで、丁川、丁野が原告の体を押さえつけ、甲川が水道栓を開いて原告のズックに水をかけた。その際、丙川も「やれ。やれ」と甲川らの行為を煽り、自らも逃げようとする原告の背中を押すなどした。

(九)  しかも、間もなく休憩時間の終了を告げるチャイムがなったので、原告は右の拘束から解放され、走って職員室へ逃れて、福村教諭に右の出来事を訴えた。

(一〇)  原告は、右(五)ないし(八)までの一連の暴行行為により、全治五日間を要する両膝打撲、両足関節挫傷の傷害を負った。

(一一)  また、原告は、右事件以後五年生の課程を終了するまで、一日も登校しなかった。

ちなみに、被告らは、原告が新館に行ったことやロッカーや会議室前の下足脱ぎ場に入った行為は、いずれも原告が自分の意思で行ったものであって、他人に脅かされてしたものではないと主張するが、甲二八号証の記載内容及び右に認定した前後の事情からして、到底採用できない。

また、原告は、右行為以外にも様々な暴行行為等があったと主張し、甲二号証には、右の経緯について原告の主張に沿った事実関係の記載があり、原告法定代理人甲野太郎の尋問中には、同証の記載内容については、事件直後に当事者である児童らから事実関係を聴取した福村教諭の確認も経ているとの供述がある。しかし、同教諭の当法廷での証言内容に照らせば、同教諭が右記載内容の子細にわたる部分まで把握したうえでその内容を確認したとまでは認め難い。したがって、同証のほか前掲のその他の各証拠を総合すれば、前示の認定事実の限度では原告主張事実を認めることができるけれども、それ以外の事実に関しては、これらを認めるに足る証拠はないというべきである。

2  右事実によれば、右の一連の行為、ことに(五)ないし(八)の各暴行行為(以下「本件暴行行為」という。)は、昼の休憩時間の開始時からその終了時までの約二〇分間にわたって原告一人を対象に一〇名を超える児童らによって代わる代わる連続的に行われた共同の暴行行為であり、その態様は児童同士のふざけあいとみなし得る範囲を大きく逸脱し、執拗で悪質な行為であるといわざるを得ない。

四  被告七塚町の責任について

一般に、学校教育の場における教育活動及びこれと密接に関連する生活関係については、学校長を始めとする教職員らには、児童の生命・身体等の安全に万全を期すべき義務があることはいうまでもないところであり、児童の生命・身体等にかかわる事故が発生することが予見され、これを回避できるにもかかわらず、右義務を怠った場合には、学校の設置者である地方公共団体等は、国家賠償法一条に基づいて、児童が被った損害を賠償すべき責任を負わなければならない。

そこで、藤岡校長らに、本件事件の発生について、原告主張のような義務懈怠があったか否かを検討する。

前記二記載の事実によれば、原告には、普段から動作が遅く話し方も上手でなかったこと、遠隔地から転校して日が浅く、自宅も校区とは離れていたこと、授業中に勝手に立ち歩くなどしばしば教室内の秩序を乱す行動をとって同級生らの反感を招くことがあったことなどいわゆるいじめの対象にされやすい要因があり、実際にも、転校直後より本件事件が発生する直前まで、同級生らから、嘲られたり、叩かれるなどのことが頻繁に起こり、本件事件発生の日の直前ころにも、同級生から足を蹴られたり、筆箱を壊されたりするなどの出来事が発生していたものである。また、原告の両親は、転校直後に藤岡校長らに対し原告がいじめられることがあるかも知れないので、注意して欲しい旨を要望し、前記の原告に対する同級生らのいやがらせや暴行行為が発生した都度にも、藤岡校長や担任の竹元教諭に報告して、同様の行為の再発の防止を求めていた。これに対し、竹元教諭や藤岡校長らは、前記のとおりに、個々の相手方児童を個別に注意したり、時にはクラス全員にそのような行為をしないように話をするなどの措置をとったため、一学期中は、一時こうした行為が減少したが、二学期に入ると、本件事件の直前において、原告に対するいやがらせや暴行行為が続けて発生していたものである。

そこで、このような事情のもとにおいては、担任の竹元教諭及び藤岡校長らは、本件事件の直前ころ、原告に対する同級生らからのいやがらせや暴行行為が再び発生する危険があることは十分に予見できるところであるから、原告に対するこれらの行為の再発を防止するために、しばしばこのような行為に及んだことのある児童らに対する指導監督を更に強化するとともに、担任の教諭が終日教室を不在にするような場合には、児童らに対する教師の指導監督がおろそかになり、児童の気も緩んで再び原告に対するいやがらせや暴行行為に及ぶことが一層強く懸念されるのであるから、そのようなことがないように、例えば、学習時間の一部だけでも他の教師による代替授業を行ったり、自習を行わせるときには、教師が高い頻度で教室の様子を見に出向くなど、できる限り教師による指導監督力の低下を防ぐための措置を講ずべきであったというべきである。

しかし、藤岡校長及び竹元教諭らは、直前に発生した原告に対する暴行行為や筆箱が破損された行為についても、行為者が判明した限度で従前と同様の注意を与えたほかには、それまでと同様、格別の措置は講ぜず、また、本件事件の発生した平成三年九月二七日当日も、一時限目から給食時間に至るまで、隣の組を担当していた福村教諭がときたま様子を見に訪れるだけで、原告の属するクラスの児童らに対する十分な指導監督の体制を講じていなかったものである。

前記の一連の暴行行為自体は休憩時間中に行われたものであるが、小学校において本件のように特定の児童に対していやがらせや暴行行為がしばしば発生し、その再発の兆候もあるような特段の事情が存する場合には、休憩時間であるということだけで、校内における児童らの活動状況について全く放任することが許されるものではないし、藤岡校長らが、前述のような指導監督を強化する措置や竹元教諭の出張当日に同人の担当するクラスについて教師による指導監督力の低下を防ぐ措置をとっていたならば、本件のような暴行行為の発生をいずれかの段階で未然に阻止できたものと解される。

そうだとすると、学校教育における教育上の措置については学校長や担当の教師に一定の裁量権が与えられるべきであることを考慮に入れても、右藤岡校長らには、本件のような事故の発生が予見でき、これを回避する措置をとることができたにもかかわらず、なんらの措置も講じなかった過失があるといわざるを得ない。

したがって、本件小学校の設置者である被告七塚町は、国家賠償法一条の規定に基づき、本件暴行行為によって原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

五  親権者被告らの責任について

1  丙川、甲田、丁原、乙野、丙山、丁川、戊田の各児童が本件暴行行為に参加していたことは前記認定のとおりである。

また、本件暴行行為当時、同人らは責任能力のない未成年者であって、本件における七塚町を除いた各被告らが右各児童の親権者であることは、当事者間に争いがない。

2  そうだとすると、親権者である被告らは、各児童に対する親権者としての監督義務を怠らなかったことを主張立証しない限り、民法七一四条一項に基づいて本件暴行行為によって原告が被った損害を賠償すべき責任を免れないというべきである。

3  ところで、親権者が尽くすべき右監督義務の範囲は、その子たる児童が家庭内にいると家庭外にいるとを問わず、原則として子供の生活関係全般に及ぶべきものであり、少なくとも、他人の生命・身体に対し不法な侵害を加えないとの規範は、社会生活を営んでいく上での最も基本的な規範の一つであるから、親権者としては、当然にこれを身につけるべく教育を行う義務があるものというべきである。

したがって、たとえ子供が学校内で起こした事故であっても、それが他人の生命・身体に危害を加えるというような社会生活の基本規範に抵触する性質の事故である場合には、親権者は、右のような内容を有する保護監督義務を怠らなかったものと認められる場合でない限り、学校関係者の責任の有無とは別に、右事故によって生じた損害を賠償すべき責任を負わなければならない。

4  これを本件についてみると、《証拠略》中には、同被告らが、普段から、子に対して、人に迷惑をかけないこと、人のいやがるようなことをしないことなどを言い聞かせていた旨の供述部分があるが、かかる説諭のみをもってしては、右のような保護監督義務を尽くしたとは到底いえない。

また、他に親権者被告らにおいて、右義務を怠らなかったと認めるに足りる証拠はない。

5  したがって、親権者被告らは、民法七一四条一項の規定に基づき、本件事件によって、原告に生じた損害の賠償すべき義務がある。

六  原告の損害

1  原告が、本件暴行行為によって、全治五日間を要する両膝打撲、両足関節挫傷の傷害を負ったことは前記認定のとおりであり、原告は、それまで、他の児童から様々な暴行やいたずらを受けていたこともあって、右行為を契機に、学校生活に大きな恐怖感を抱いたことが認められる。

2  ところで、《証拠略》によれば、本件事件発生後の事情として、次の事実が認められる。

(一)  本件暴行事件が発生した翌日、原告の両親は、校長室に藤岡校長を訪ね、事件に関与した児童から直接話を聞きたいと校長に強く要望したため、藤岡校長は、丙川、丙山、丁原、丁川、戊原、戊田、乙野を含む九名の児童を校長室に呼び、原告の両親がこれらの児童に対して直接に事実関係の確認をすることを容認した。

そこで、原告の父甲野太郎は、各児童を一人づつ順に問い詰めていったが、その際、丙川に対しては「社会的な立場がなかったら、おまえを半殺しにしたいと思っているぞ。」「ゴロツキ、チンピラというんだ、てめえのやったこと。自覚あるか。」などと強い口調で非難したり、原告の性器を触った丙山に対しては、その事実を問い質した後、同人及び傍らにいた原告に向かって「一郎、やってこい。」「やられたらどんな気持ちになるか味わってみい。」とその場で報復的な行為を唆すなどの言動もみられた。そのため、児童の中にはその場で泣き出す者もあり、後に、その時の様子を児童から伝え聞いた保護者の中には、自分の子供の方こそが被害者であるという感情を抱くものが少なくなかった。

(二)  また、同年九月二九日には、藤岡校長のあっせんで関与児童の親権者らのうち、都合がついた丙川、甲川、乙野、戊原四名の父兄が、原告の父甲野太郎の勤務先の研究室を訪れて、原告の両親と会ったが、藤岡校長が関与児童の親権者らに会見の趣旨を十分に説明していなかったことなどもあって、冒頭から双方の間が険悪な様子となり、原告の両親が納得する形で四名の父兄が謝罪するというには至らなかった。

また、その後も、一〇月三日に、藤岡校長の勧めで、原告の両親及び関与児童の父兄が学校に集まったが、謝罪の方式をめぐって対立し、やはり謝罪には至らなかった。

(三)  こうしたことから、原告の両親と本件親権者被告らとの間には、感情的な対立が深まり、また、本件暴行行為をめぐる事実関係についての認識の点でも、両者の間に大きな隔たりがあったので、親権者被告らの側には原告に謝罪をしようとする雰囲気が途絶してしまった。

(四)  そこで、原告の両親は、児童らに反省している様子が見られず、学校側もそれに対して格別の措置をとっていないとして、不信を募らせ、こうした状態のままでは原告は登校できないとの姿勢をとり続けた。

(五)  これに対し、竹元教諭は、電話で原告の様子を尋ねたりしただけでなく、原告が居宅を現在の住所に移した同年一一月以降は頻繁に原告宅を訪ねて、原告に対し登校を促すなどしたが、結局、原告は五年生の課程を終了するまで一度も登校することがなかった。

3  右の事情に照らせば、原告の不登校が六箇月にも及んだ原因は、本件暴行行為に遭って精神的な苦痛を受けたことのほか、その後の双方の保護者及び学校関係者らの前述のような対応もその一因となっているということができる。

4  そこで、このような事情も含めた諸事情を総合勘案すると、本件暴行行為によって原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには金四〇万円が相当である。

そして、原告は、共同行為者である戊原三郎の親権者である戊原松夫及び戊原春子との間に平成四年一〇月二七日に成立した当庁の和解に基づいて、同人らから右損害のうち一〇万円を既に受領済みであるから、慰謝料の残額は三〇万円である。

5  また、原告が弁護士である本件訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任したことは記録上明らかであるところ、本件事件の性質、審理の経過、認容額に鑑みると、原告が弁護士費用として支出を余儀なくされた金員のうち本件事件と相当因果関係のある損害は金五万円であると認められる。

七  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、被告らに対し、連帯して、金三五万円及びこれに対する本件事件発生の日である平成三年九月二七日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるが、その余は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 市村陽典 裁判官 上田 哲 裁判官 二宮信吾)

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